平成と共に変化した浦和駅東口

浦和駅東口の駅前の景色は、平成時代に劇的に変化しました。

私は平成8年(1996年)から、一時期浅草に一人暮らしをしたものの、20数年間ほぼずっと浦和駅東口側を利用して育ってきました。

平成が終わるタイミングで、私が住み始めてから今に至るまでの浦和駅東口の変化について書きたいと思います。

1996年(平成8年)〜2004年(平成16年)頃まで

一言で言うと、この間の浦和駅東口の駅前は本当に何もありませんでした。

当時の浦和駅東口というと、改札出た目の前にタクシー乗り場、右側に出ればミスドの入っているビル(私が浦和に住み始めた当時からミスドはありました)に雑居ビル、左側に出れば小さな洋食屋やパン屋などが立ち並ぶ程度。

タクシー乗り場の先は、だだっ広い更地が広がるだけでした。

下の写真はさいたま市アーカイブス(https://www.city.saitama.jp/archivescenter/001/002/001/kpu-0308hoka.html)に掲載されていた、昭和58年の浦和駅東口の写真です。私が浦和に住み始めた頃と下の写真とは、駅の看板がJRに変わっているぐらいのイメージです。

当時は浦和駅の利用者も西口に集中していました。いつも利用人数の少ない東口の改札の方向に向かう毎に、何だか少し恥ずかしい思いをするぐらいでした(今思えば完全に自意識過剰)。

2005年(平成17年)浦和駅高架化工事スタート

ここから、大きく浦和駅東口が変化していくことになります。

浦和駅の高架化工事がスタートしたのはこの頃です。手持ちの写真が無いので、ここからはteruterured写真館さん(https://teruterured.jimdofree.com/)から写真をお借りしながら書いていきます。

下の写真は当時の浦和駅東口改札です。改札に入ったら一度階段を降りて、更にそこからホームに向かう階段を登る必要がありました。

浦和駅東口の駅舎が取り壊される前の写真です。

高架化される前の浦和駅ホームです。

そして一つの大型商業施設が、浦和駅東口へ人を大きく引き寄せる決定打となりました。

2007年(平成19年)浦和パルコの誕生

浦和駅東口駅前の光景が一変しました。

今も浦和駅東口の象徴である、浦和パルコのオープンです。

PARCO SPACE SYSTEMS(https://www.parco-space.co.jp/works/detail/post-18.php)ホームページより

当時としては待望の東口の大型商業施設の誕生。東口ユーザーとして、この時の気分の高揚は今も忘れることができません。

2013年(平成25年)湘南新宿ライン浦和駅停車開始

池袋・新宿・渋谷・恵比寿に一本で行けるようになり、更に浦和駅の利用者がグンと増えていった印象です。

2015年(平成29年)〜現在 上野東京ライン開通・浦和駅東口広場の完成

上野東京ラインが開通。浦和駅東口広場も完成し、浦和駅東口はすっかり洗練されてしまいました。

浦和駅東口の発展と令和での生き方

下のデータを浦和駅のWikipediaで見つけました。浦和駅における1日の利用者の推移です。

東口に浦和パルコができた2007年(平成19年)

湘南新宿ラインが開通した2013年(平成25年)

上野東京ライン開通・高架化工事が完了した2015年(平成27年)の伸びが顕著です。

浦和駅東口駅前がこれだけ発展できたのも、行政が努力して浦和駅東口の利便性を格段に向上させ、西口だけでなく東口にも人の流れる仕組みを作り出したからだと思います。それは長年に渡り浦和駅東口を利用してきたからこそはっきりとわかるし、原体験として目に焼き付いています。

そして私がこれだけ便利になり愛する浦和を離れてまで転職する決断をしたのも、私自身がもっと成長したいと思ったからです。

平成と共に発展・変化した浦和駅東口前。それを見ていると、成長の本質は変化なのだと思わずにはいられません。

私自身も浦和駅のように日々変化しながら成長していきたいなと、決意を新たに令和時代を生きていきます。